鷲見氏研究会と「一本の葱」「ぼっとり」

昨日のこと
午前中は高鷲で鷲見氏研究会
午後は八幡でプチ法話
途中で買い物をするつもりがすっかり忘れてしまった。
屋根の雪を落とす長い柄の雪かきとスノーダンプのスプレーを買うつもりだった。
高鷲は30㎝ 白鳥20㎝ 大和10㎝ 八幡1㎝と屋根の雪が変化していく。

鷲見氏研究会では「古文書の解読文を中学生にもわかるような文章に書き足す」という宿題が出た。

古文書の保管室もできた。
鷲見氏は来年の大河「鎌倉殿の13人」と同時代のこと。
列島の中世はこれから面白くなる。

プチ法話会では「一本のネギの話」⇒ 「蜘蛛の糸」を廻る二つの物語
ドストエフスキーはこの話をどうとらえているのだろうかと気になり、
後から「カラマーゾフの兄弟」のその部分の前後を読んだ。
私たちは一本のネギしか恵んだことのない意地悪なばあさんである。
でも、私たちがそれができたのはその隣にイエスが寄り添っているからだと。
彼は人の煩悩に注目するよりも一本といえどねぎを恵んだ方に注目している。
そして、アリョーシャはその一本のねぎを恵むという「仕事」に目覚める。

ドストエフスキーは随所に聖書の解釈を入れている。
このおかげで「ヨハネ伝のカナの婚礼」の意味が少しわかった。
エスは私たちと共に一本のねぎを一緒に恵む楽しみを行っていると。

こうやって読めなかった本が少しずつ読めるようになっていく。
ただ50年もかかってしまったけど。
この本は女性からプレゼントしてもらった思い出のもの。

話の中で「ぼっとり」という言葉が出てきた。
船型の梃子型の水車のことだけど、八幡の方は同じ「ぼっとり」だったけど、
口明方の方は「とんぼ」と言われた。
福島では「ばったら小屋」と言うらしい。
③ばったら小屋 – 福島市民家園 (minka-en.com)

プチ法話会で色紙と俳句を石田先生からいただいた。

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今年の報恩講を見事に表している。