「穴洞氏神累縁記」

ここ一週間ほど解読に努めている。
まだ読めないところもあるけど、ほぼあらすじは判ってきた。

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最初に「抜穴洞」と書いてある。
いろいろ読んでいると面白いことが出てくる。
①天慶年間の将門の戦いと平良忠の夢告のこと
②承久3年のこと
③永禄の内ケ島氏理が攻め入ったこと
天正13年の大地震のこと
⑤慶長の大阪の陣のこと
⑥元和2年に著者が穴洞に入り、白山神社を再建したこと など。

興味あることが次から次へと出てくる。
特に地名に関することも書いてある。
この解読をグループでやるともっと面白いだろう。
高鷲村史を編纂した山川新輔先生も、「史実がより深まるように今後の研究に期待する」と書かれている。

つまり、村史は編纂がこれで終わりというのでなく、これからも編纂され続けなければならない。これは山川先生の願いでもあるのだ。

そのためには「古文書の会」が必要だ。
高鷲には以前その会があったけど、今は活動していない。
これを再び再開し、みんなで村史を編纂するというのが私の夢。

村の文化財はこうやって利用されなければならない。
大日本史料は明治から始まって今でも編纂が続けられている。
それを編纂すること自体が文化財を生かすことなのだ。