このたびさとりをひらくべし

五十六億七千万 弥勒菩薩は年をへん

まことの信心うるひとは このたびさとりをひらくべし

 弥勒菩薩は等覚の位にありながらも、五十六億七千万の歳を経て成仏される筈である。真実の信心をうる人は、今度浄土へ生まれて涅槃のさとりを開くであろう。

(名畑応順校注 親鸞和讃集より)

これを最初に読んだとき、「このたび」だから今ここでと考えてしまった。
しかし、そんな狭い時間ではない。
「今回の生で」は生きている間ではなく、もっと広く「今回の生で浄土に生まれて」という意味だ。

それは、無始以来流転してきた私がさとりを開くことができるということを示している。それは実は大変な出来事なのだ。

 

三帖和讃を唄いながら何度も読んでいる。もう何回目だろうか。
その正像末和讃を読んでいて感じたこと。

屋根のペンキ塗りをやっと終えた。
これで冬を迎える準備の一つを終えたけど、まだたくさんあるなぁ。