「考えても仕方ないことは悩まない」トレーニング

親父の納骨は弟の家族とやり、祥月命日は妹夫妻とお勤めした。

父はいつも「考えても仕方がないことは悩むな」と言っていた。
こちらの方言でいうと「考えてもしょうがないことは悩まない」
となるけど、これは案外深い意味があると思う。

最近「知性は集団的なもの」ということを考えている。

昨夜もZoomを使ってハイブリッド研究会の打ち合わせをした。
その時、ネットやコンピュータの使い方についての話題が出た。

これだけデジタルな環境になり、コンピュータが生活の隅々まで入り込んでいる中で、そのコンピュータ自体の使い方を知らないでは生活がかなり異なってくるのではないか、という話だ。

私はこの話を「集合知」の視点から考えている。
一人一人の知(スキルも含める)は知れている。それぞれの知が融合し発酵して新たな世界が立ち上がる。
これが私のイメージする「集合知」なのだけど、その場合、それを受け止め方向を指し示す知性が必要だ。
そして、それは集合知の中でどういう役割をしているのか、どういう知性なのかということが気になる。

それは、たぶん柔軟でありながら方向だけは見失わない知性だと思う。
ではその知性のスキルとは何だろうか。
たぶん、本質をつかむ能力だと思う。
では、本質とは何かというと、「いのち」を精一杯はたらかせること。
「いのち」はどうはたらくかというと、「いのち」をいじめないことで働く。
そして、「いのち」をいじめないとは、「悩んでもしょうもないことは悩まない」
ということになる。
「いのち」をはたらかせるには「いのち」をいじめないことが最も必要なことなのだ。

「いのち」を大事にしない例があった。

 コンピュータの本質とは何か
コンピュータとは何か
それを「いのち」から考えると本質が見えてくるのではないか。

(いのちについては表題をクリックすると関連記事が出てきます。「智慧の構造」)

ウインドウズに拡大鏡がついているのを初めて知った。
[ウインドウズロゴキー]+[+]で出てくる。
最近画面が見づらいのでありがたい。