選択称名の願

あれから17願がなぜ「選択称名の願」なのかを調べている。

つまるところ「選択本願念仏集」に行きわたる。
それは、
称名念仏法蔵菩薩の悲願であり、
 二百一十億土の中から選び取った最も優れた行である
ということ。
だから諸仏が称讃するのである。

最初の疑問は、行巻の中には、「往相の行」は取り上げてあるけど、
「選択の行」はあまり取り上げられていないということ。

だから、選択集を読んだのだが、「選択の思想」がよくわかった。
とすると、なぜあまり取り上げてないのかが疑問になるが、
親鸞さんにとって、師法然上人の選択集は当然のものだったのだろう。
称名念仏が仏の悲願であったことが身に染みてくる。

選択集の方は18願を選択本願とされ、乃至十念から正定業とされる。
親鸞さんは称から聞に至る過程を大事にされるが故に17願に配当された。
そして、名号自体のはたらきを明らかにされる。

こういうテーマを持って選択集を読むと、視界が広がってくる。
ようやく選択集までやってきた。
まだわからないことだらけだ。


 一心にもっぱら弥陀の名号を念じて、
 行住坐臥時節の久近を問わず念々に捨てざるもの、
 これを正定の業と名づく。
  かの仏の願に順するが故に。