このやり方の良いところは、自由に移動出来て、編集が可能であるという点だ。
つまり、紙を動かすことで考え、棄てることで考えを棄て、
数枚の紙を一緒にすることで新しい結びつきを考える。
そして、一定の量が集まったら、袋に入れて、袋の表にまとめを書いて仕舞う。
袋に入れてしまうと見えないが、仕方がない。
これをずっと続けてきた。
すると、今度は袋が大量にたまってきた。
袋は、教育・数学・仏教・社会に関わる。
退職した時に、ずいぶん処理したが、それからまだ大量に残っているし、
再生産されている。
この問題にはずっと悩まされてきた。
数学は、サイトに書くことで解決しようと考えた。
これだと、検索がとても手軽で便利だ。
そうなると、全てのアイディアや学習したことをデジタルにして検索しやすくする
と考える。
全体としてはそうなっているが、そもそも、紙に書くことが考えること
という習慣を持ってしまったものは、書いた紙の量を前に呆然とするしかない。
最近では、古紙がすぐに無くなって、新しい紙を使う様になってきた。
というわけで、これからはできるだけノートにしようと考えた。
ノートと一枚の紙では全くはたらきが異なるが、これはこれで良い。
特に、紙だといい加減に書いてしまい、乱雑になってしまうが、
ノートだと丁寧に書く。
つまり、生産性は減るが丁寧に正確に書こうとするから考え方も丁寧になる。
ドラゴン桜で、図はできるだけ正確に描くというのがあった。
これはとても大事なことだ。
というわけで、昨日ノートを買ってきて、仏教ノートを作った。
これは、数学と全く同じで、
「問い→答え」となっている。
題は「勿自局分」
曇鸞大師の言葉からとった。