脳の中の生産?

久しぶりの雪下ろし。

しんどいので、二階から落ちてきた雪と庇だけ落とした。
ついでに雪が落ちてきたところだけ、除雪機で飛ばした。

4年間取り組んできた「三角形の極線について」をファイルにまとめた。
かなりの厚さになったので、いらないと思われるものを捨てた。
こんな簡単なことになぜ気がつかなかったのだろうと感じる。
解けたと思ったのはつながりが分かったという意味で、
それを証明の形で書くと大変だということが実感できる。
焦ることはない。4年もかかったんだ。ゆっくりやろう。

ところで、これは何を「生産」したんだろうか?
数百枚の紙とその書き込みを生産した?
数学的自然に働きかけ、定理を生み出した?
図形の面白さを生産した?

そう考えていると、「生産」には他者が必要なことに気がついた。
これを自分の脳の中だけでやっていることだけを想像するわかる。
確かに考えてはいるけど、アイディアを生み出しているけど、
生産しているとは言えないような気がする。
そのアイディアを他者に伝えることこそ生産ではないか。
この場合はそれは「書く」ことだ。

他者に向かって書くことは(このブログは自分自身にも書いているけど)、確かに生産していることだと思う。