プチ法話会

年末の忙しい時なのに8名の方が集った。

昨日は頼母子でちょっと二日酔い気味。
準備も出来なかったが、楽しく語ることができた。

ふと感じたことをメモしたり、読んでいて気に入ったところに線を引いた通信や新聞
そいうものをまとめておいて、それを取り出して語るという方法をとっている。

今回、伝道掲示板のメモと座禅とスポーツ、そして、
本願寺新報に特集として取り上げてあった「サブカルチャー・生活の中の真宗文化からのアプローチ」などを写真などを紹介しながら、勝手にしゃべった。

語りながら気が付いたことがある。
それは、真宗の文化・念仏の文化・職人の他力性だ。
後で、もう一度新報を読み直したら、釋徹宗師がうまくまとめていた。

それを書いておく。
「先人が創造してきた浄土真宗文化は、まさに「念仏者の生き方」の試行錯誤の中から生まれてきました。」
「現代人は地域の宗教文化や伝統的な行為様式なしに、直接宗教性へとアクセスしなければいけない状況におかれています。現代人の宗教が情報化・消費財しているのも、地域や文化の様式が瘦せているところに要因があると思うのです。」
「領域と領域のインターフェイス(境界面・接触面)だからこそ生まれるものもあります。だから私はこういった取り組みを評価したいと思います。」

ちなみにこの活動とは、ボーズバーやナムナム・ガールズ、お寺版脱出ゲーム、ジッセンジャー、KOKOROアカデミー、カフェ・デ・モンク、消しゴムハンコ、ともしえ・・・など

職人文化もそういった中から生まれてきたし、
「自然が語りかけようとしているメッセージを聞き取り、特殊なコードによってそれを理解し、それを内側から外側に取り出すいとなみ」こそ、はからいなき「はたらき」であった。
            中沢新一氏「野生の思考」より

冬の坪庭アート
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