本当の宝物

「はるか800年の昔に、宗祖によって明らかにされた浄土真宗の教えが、現在もなお人々の心に活きてはたらき続けているのは、それが人から人へと伝えられてきたからであって、それ以外のものではない。
そうでなかったら、宗祖の教えは日本仏教史上の単なる一思想として、世の知識人の興味の対象となるにとどまっていたであろう。」
 
この文章を読んだとき、和算のことを思い浮かべた。
和算も、算学を学び愛した市井の人々がいた。
浄土真宗も同じである。
 
浄土真宗の教えがいかに素晴らしいものであろうとも、
人々の心の中に活きてはたらいていなかったら、そのねうちは無くなる。
そういう教えを受けとめ、伝えながら懸命に生きてきた人々がいたことこそが、大宝海なのだ。
 
「郡上おんな」を読み、与之助さんの言行録を読みながら、そう考えるようになってきた。
昔、本願寺の宝物という番組を放送していたが、
様々な宝物よりも、本堂で念仏を称える老若男女こそが本当の宝物だと思ったことを思い出す。
 
 それは、古い家族制度や、戦争の苦しみの為だったとはいえ、
念仏をよりどころとして苦しみの生活を乗り越えてきた人たちがいたことは、
現在の私たちの生活を振り返させる。