当時の人たちが描いた図を見ると、
やはり東西南北が置いた紙の方角で描いてある。
とすると、このように描くのが一般的だったということになる。
そこで、仮説を立てた。
次の図は7月2日の北斗七星の周りの天体図だが、
筆の性質上、上に持って描くことはできない。
そこでこの下の線を対称線として上下(南北)を描くと、
東西がそのままになるのではないか。
したがって、下の図のようになる。
西 南(中天) 東
西 北西 北 東
中天
つまり、透視図法ではなく、対称図法なのだ。
そして、下に置いた紙に書く場合に、この図法はとても自然であることにも気が付く。