逆接の言葉

自分の好きな事だけやって生きて来た。
好きなことだから当然できる。

ところが、好きではないこともある。
好きではなくても、日常のやらなくてはならないことにはやることができる。
それは、自分で決めたことだから。

ところが、どこかから来る「やらなければならないこと」には拒否感が出てくる。
それは、自分で決めていないから。

でも、自分で決めていなくても、やらなければいけないと感じることができればやることができる。
自分で決めていなくても、やらなければならないと感じることは、
自分で決めたことと同じコトだから。

実はこれが無いのだ。
だからやりたくないのだ。

ここまで書いて気がついた。

Aである
ところが、Bでもある
ところが、Cである
ところが、Eである

こういう自分の文体。
たぶんいつもこういう思考をしているのだろう。
わかりにくい欠点もあるが、「逆接の言葉」は新しい方向を示す。
そして、この後も続いていく。