サイン問題から

昨日の問題についての続き
 
(1)結論は単純な論法でよくおちいり易い
  白か黒かだから分かり易く、誰でもがおちいる危険性がある。
 
(2)拡張してみるとそのおかしいことがわかる
  ・フェルマーの最終定理を証明したからといって・・・
  ・ピカソの絵の意味が解らないからといって・・・
  ・仏教なんて生産の役に立たないから・・・
  ・ニュートリノに質量があることが解ったからといって・・・
  ・ラグランズ・プログラムに取り組んだとしても・・・
 
(3)自分を中心にして世界を考える思考が私たちにはある
  使っていないのは私だけなのに、意味が解らないのは私なのに、その私の価値観からしか考えない。
  自分にとって役に立つかと考えるのは、全てを道具化してしまう。
 
(4)ところが、(2)のことを必要だと説明しようとすると難しい
  結局私にとって必要かどうかは学んでみないことにはわからない。
  たぶん、ほとんどの人はこれが必要だからと前もって考えてやっているわけではない。
  ワイルズは取り組みたかったからフェルマーの問題に何年も苦労したのだろう。
 
二次方程式の解法についてならだれでもやっている。
もう解の公式を忘れている人も多いだろう。
そして、役に立たなかった=使ってこなかったという人がほとんどだろう。
だから教える必要が無いと思う人もいると思う。
 
でも、それがわかったのは学んだからこそ。
一方で解の公式の意味を深く追求し、その面白さを感じた人もいる。
学んでみないとわからないのだ。
そして、追求した人だけにそれが存在する意味が開けてくる。
 
どんなことでもそうなのだ。
芸術も職人の仕事も
それをやらなくては生きている意味が見えてこないからなのだ。