サイン・コサイン・タンジェントをなぜ学ぶのか

「サイン、コサイン、タンジェントを社会で使ったことがあるか女性に問うと、10分の9は使ったことがないと答える」
 
と言うことは、1割の人は使っているとなるが、実際はもっと少ないと思う。
二次方程式の解の公式を使ったことのある人も同様だろう。
ましてそれを役立てて生活をしている人は、数学の教師ぐらいなものだろう。
でも、その成果(フーリエ変換など)を使っている人は多いと思う。
もっともこれは女性に限らないから、なぜ女性に問うと限定していることも気になる。
では、このことから、次の結論を導くことはできるのか。
 
「サイン、コサイン、タンジェントを女の子に教えて何になる?」
 
余りにも短絡的な結論で、いったいどういう論理で導けるのかわからない。
役に立たないことを教えるよりも、もっと役立つことを教えよと言うことだとだろうか。
もしそうだとすると、「役立つこと」がどういうことなのかきちんと議論する必要がある。
 
いずれにしても問題点が満載のコメントだが、
逆に見ると、「なぜサイン・コサイン・タンジェントを教えるのかちゃんと言えるのか」
という問題提起ともとらえられる。
 
それに対してどう答えるのか。
 
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鳳来寺山のモミジ