商売は菩薩の業

伊藤忠兵衛という人がいる。
伊藤忠・丸紅の基礎をつくった人である。
彼は、七里和上を師とし、自らも真宗の教えに生きた。
 
「紅忠は開店と同時に店法を定め、利益三分主義をとった。これは、店の純利益は本家納め・本店積立金・店員配当に分かち、これを 5:3:2 の配分率にして「三つ割銀」といった。店員への配当を割くことによって勤労意欲を喚起したもので、これは伝統的な近江商法に拠ったものである。
また忠兵衛は真宗の信仰に厚く、津村別院に熱心通い、「商売は菩薩の業」と説きいて多数の人材を育て、財産を分かつことを商売繁盛の本道としていた。」
 
「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買いいずれをも益し、
 世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの、利真於勤」  座右の銘
 
彼が七里和上から受けた教えは、
安心立命を支えに、大因小果をこころがけ、勤勉努力をするというものだった。
このことは、
マックス・ウエーバーのプロテスタントの禁欲主義から資本主義が生まれたという説を連想させるく。
資本主義におけるプロテスタントの役割を真宗がしていたと考えてしまう。
 
問題は、この後である。
現代資本主義(新自由主義)が、欲望の増大、肥大化によって成り立っているという側面は、
生まれ出た禁欲的な宗教からはるかに隔たってきている。
そこをウエーバーはどう考えていたのだろうか。
 
忠兵衛は、欲望・煩悩を厳しく見つめる信心をいただき、
「たとえ全事業を全財産を失うとも、他力安心の信仰は決して失うな」
と二代目に常に言っていたという。
 
七里和上の処世について、現代に生かすにはよくよく考えてみなければならない。