光明名号顕因縁

鎌倉時代御家人と鎌倉殿の関係が「御恩と奉公」である。
御恩は、御家人が鎌倉殿から受ける恩恵で、所領安堵と所領給与である。
御家人は恩恵を受ける見返りとして、鎌倉殿へ軍役と公事(納税)の奉仕義務を負う。
 
如来大悲の御恩」とは、このような御恩と奉公の関係を言うのであろうか。
親鸞さんが言われた御恩とは、このような対称的な御恩と奉公であろうか。
 
親鸞さんの御恩は決して対称ではない。
私たち凡夫が、仏の御恩と同等にできることは何もないからである。
いや、念仏だけである。
 
ニーチェキリスト教への批判がある。
キリストは十字架に磔になることによって、人間の罪を背負って身をもって贖罪した.
(これはパウロの解釈である)
というのは反発できない形で恩を一方的に押し付けたのではないか。
というものだ。
 
そういう考え方を知った時に、「御恩」ということに頷けなくなってしまった。
でも、私の中に生まれた念仏=誓願は私が生み出したものではない。
そのことが率直に有難いことだと頷ける。
 
外では雪が雨に変わった。
光明と名号が縁となり因となって顕われてくる。