3年にわたる本典学習会の最終回。
有難いご縁であった。
1つは親鸞聖人との、2つ目は祖師方との、3つ目はお経との、4つ目は会ったことのない和上方との、・・・
今回は、阿弥陀経との新たな出会いがあった。(⇒=から)
不可以小善根福徳因縁⇒一心不乱の念仏(自力の念仏)⇒臨終来迎⇒難信の法(=信楽受持難中至難・他力の念仏)
そして、回入⇒転入の三願転入へとつながっていく。
対告衆の中に知恵第一の舎利弗と愚鈍の周利槃得がいる意味。
そういうことだったのかと喜びが湧き出てくる。
三木清が三願転入の論理と書いていたのを思い出しながら、回入と転入は全く違う働きであるけど、転入も自然なのかどうか考えてしまった。
3年という年月と3時間という時間(3年×3時間×8回)、岐阜まで行くということ、しかし、何ものにも代えられない時間であった。
そもそも岐阜まで行こうと決意したのもいろいろなご縁による。
それまで別院に行くことが遠かった私を、車に乗せて僧侶研修会に連れて行ってくれた安楽寺さん、この研修会を企画実行してくれた横山、宇野両師、本典を本格的に学んでみたいという気にさせた様々な方たち。そういう縁が重なってこの学びとなった。
また、岐阜まで行くために昼食を早くしてくれたり、お茶を用意してくれた坊守のおかげである。
何よりも3年にわたり、毎回3時間もの講義を行ってくださった安方師にはどれだけ感謝しても感謝しきれない。受け取った御恩は次の人に渡すしかない。