レンマの論理は次の4つから成り立っている。その意味を考えてみた。
テトラレンマ(龍樹の中論を定式化したもの)
(1) A (肯定)
(2) ¬A(否定)
(3) Aでもなく¬Aでもない (肯定でもなく否定でもない)
(4) Aでもあり¬Aでもある (肯定でもあり否定でもある)
この論理はAと¬Aの中間を認める。
「中とはただ2つのものの間にあることではなく、それが2つのもののいずれでもなく、そしてそれ故、それらの孰れでもあり得ることを意味する。」
龍樹はAに「親から子が生まれる」をあてている。¬Aは「親から子は生まれない」。これには共通部分は考えられるので、「子から親が生まれる」などいろいろ考えられて面白い。
最初は最後の図だけで考えていたけど、このように図を変化させる方がわかりやすいと思いついた。なおこの図はベン図ではなくオイラー図というそうだ。
さて、「Aである」と名づけた瞬間に世界はAと¬Aの二つに分かれる。
分かりにくいので、例によって具体的な例を出してみよう。いろいろ調べていたら、こんな例を出していた人がいた。
とてもわかりやすいので紹介。
「円柱を上から見た人が、これは円であるといった。
正面から見た人が、円ではないという。
斜めから見た人が、円でもないし、円ではないともいえないという。
立体を見た人が、それは円でもあるし、円でないともいえるという。」
とてもわかりやすいと思うけどどうだろうか。
ところで、この方はこれを弁証法の例として出されていた。
ということはこのレンマの論理は弁証法ととても近いということを示している。
西田師が「絶対弁証法」と言われたのも頷ける。
ところで、このブログで1つ気がついたことがある。
このページの題だけをクリックすると、下の方に関連する過去の記事が出てくる。
それを見ていると、同じようなことを考えていたんだということがよくわかる。
この機能はとても良い。