・高鷲の災害史をアップ
馬渕先生がまとめられたものに、下牧さんが調べた岐阜県気象年報、白石先生の郷土の災害史を加筆しただけです。
自然災害に疫病なども加えました。
高鷲村災害一覧
災害名 |
発生年月 |
災害状況 |
天平宝字6年 |
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水難 |
斉衡元年 |
濃尾両国の沿河の人民水難に苦しむ(岐阜県気象年報より) |
治安年中の大水害 |
1023.7.1 |
長滝村と二日町村の境にある井洞が崩壊して長瀧寺一山の内の六〇坊を押し流して滅ぼした。この山抜けのため長良川がせき止められ二日町村は今まで村の西側の山際を流れていたのを東側を流れるようになった。 |
建武年中 |
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永禄年中鮎走大火 |
1558~1569年 |
寺院焼亡して山野となる。(鮎走由緒略記) |
1586年1月18日 |
帰り雲城、みぞれ、折立など崩れる。マグニチュード8.0程と推定される。 |
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天文の豪雪 |
1596.2.23 |
3丈余り積もった。夜になって更に6尺積もった。(長滝文書) |
長良川の大洪水 |
天文3年 |
長良川の流れを変えたと言われる。 |
文禄の地震 |
1596.7.12 |
大地震があり死者がでる。 |
元禄の大水 |
1701.8.12 |
12日から降り出した雨が、17・18日風雨が激しくなり、鷲見郷各地で山抜けがあった。 |
1783 |
他所からきた行倒れが多し。藩内では被害少ない。 |
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文化5~7年大雪 |
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文化5年には2丈8尺、15尺 雪崩にて数十軒埋まり負傷27人。 |
文化年間の疫病 |
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疱瘡の為子どもが多数亡くなる。 |
文政年中の風水害 |
1825.8.14 |
大風水害があり、山抜けが有り、各地で川場が変わった。 |
寛政7年洪水 |
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上ノ保川等洪水(岐阜県気象年報より) |
天保の干害 |
1832.6 |
日照りで畑作物ほとんど枯れる。 |
1833.4.9 |
方々の崖から岩石が転げ落ちた。 |
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天保の冷害 |
〃 |
長雨で気温が上がらず秋作は実らなかった。 |
天保の飢饉 |
1835~38 |
3ヶ年不作続く |
雷 |
嘉永6年 |
切立村で雷の為に家が消失。(万留帳) |
安政の疫痢 |
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疱瘡がはやり子どもが多く死す。(万留帳) |