薪づくりと「武士はなぜ歌を詠んだのか」

原木をすべて切ってしまった。
後は割って、積むだけ。それにしてもよくやったと思う。
ついでに木の選定もして落ち葉を集めた。

午後から古今伝授連続講座「武士はなぜ和歌を詠んだのか」に参加。
以前読んだ本「武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで」の著者小川剛生氏だったので楽しみだった。
ただ昨夜4時間ほどしか眠れなかったので眠たくなるのではと心配したが面白くて最後まで聞けた。

・中世は国が違えば言葉も異なる。通じない人たちの共通言語が和歌や謡曲であった。承久の乱で西国へ、大番で京都へ・・・
・武士にとって官位はステータスであると同時に、己が誰であるのかを示すもの。衛門尉や兵衛尉、中務丞などは六位。辞退して自動的に五位で太夫(だいふ)となる。家督を継ぐと受領(下野守)に任じられる。勅撰和歌集に選ばれるのも名誉。
和歌と官職は社会のインフラでもあった。
・古典はその時代あって再生産されるもので、万葉集などは江戸時代に発見されたもの。(歎異抄は明治)新古今は和歌のフォーマットとして繰り返し学ばれた。
・貴族、僧侶、武士と分けた場合、武士は教養がないという先入観がある。でも貴族にも教養がない人も居たし、位が低いけど和歌に優れていた鴨長明などが居て、武士に和歌を教えていたのではないか。治天の君勅撰和歌集の作成を命じるだけ。
・題詠は和歌の特徴。どんな題詠(テーマ)が選ばれたか、選ばれなかったのかを考えると面白い。人の体、食事、犬猫など生活は取り上げられない。個人的な経験や感動は共有できないから選ばれない。階層・出身が違えば対手の主張を理解するのが困難。自分が何か主張したい時も、古典の知識や和歌の表現を借りるしかない。
・無常観は中世から。平安時代は温暖だが、鎌倉時代から寒冷期に入る。武士たちの見ている世界は花鳥風月からかけ離れた悲惨な現実。だからこそ武士たちは変わらないものとして和歌を詠んだ。

わからないことだらけで奥が深い。