江戸時代の庶民はなぜ読み書きができたのか

古文書読ままい会で話題になり議論になったこと。

「江戸時代の庶民はなぜ読み書きができたのか」

もちろん読める人と読めない人はいるけど、読める人はどこでそれを学んだのか?
(学校がないのに)ということだ。
いろいろ意見が出たけど、まとめると

(1) 寺子屋の役割
  誰でもが読み書き算ができる。
  これは学校ではないのに大きな役割を果たした。

(2) 惣や講や連の役割
  以前「武士はなぜ歌を詠むのか」という本を読んだ時、
  彼らはたびたび「歌合せ」をし、それがネットワークとして情報の交流や調停をしていた。
  そういえば、東常縁と斎藤妙椿はこの歌合せをしていたかもしれない。
  名もなき女性が太田道灌に山吹を渡したという話もある。
  この歌合せが連歌となり、連歌会となる。
  集団制作による詩作である連歌は講と結びついて発展した。
  この講が一揆と結びついた例もある。
  さらに句会や和算などへと発展する。

(3) こういった惣や講の話し合い機関としての「寄合」も重要な働きをしたと思う。

まとめると、当時から「学びのネットワーク」を作り出していたということだ。
それは和歌(文学)を通じていたからこそ、和歌が素養として必要だったのだろう。
和歌の役割は大きいと思う。

古今伝授と国ゆずり  ( 古今集仮名序にみることばのちから)


その後、だから日本人は素晴らしいという話と、現代はそうではないという話に移っていった。
これはこれで面白かった。

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