9月の本典勉強会

9月は都合が良くなく出席することができなかった。
楽しみにしていたが仕方がない。
でも、今日音源が届いて、さっそく聞いた。
もっとも台風対策の仕事をしながらだが。

Dropboxというのがあって、
そこに送れば、大容量の音源でも送ったり受け取ったりできるというのだ。

とても便利で遠方でも問題ない。
以前、Skypeで七日のお勤めをしたことがあるが、これも時空を超えている。

でも、情報は時空を超えることができるが、
私たちの内実は時空を超えることは難しい。

講師のお話を聞いていると、御開山の思いが時空を超えて届いてくる。
ちょうど、六字釈から両重因縁のところ。
今まで勝手に読んでいたところが、なるほどそうだったのかと広がってくる。

なるほどと感心するのは、それぞれの引文にそれぞれの歴史や背景があって
それが、その存在意味を示しているということ。
もうひとつは
そういうことが、私自身の因縁と業識を照らすということ。

安方師は
私たちはずっと昔から照らされているのに、私の内因の業識(信心)が無ければ
慶びは生まれてこないといわれる。
「ひとへに親鸞一人がためなり」という所には行けない。
そして、
現益の無い人には当益は無い。
それが仏と出遇うことであり、救われるということであると。


ところで、これを読むと本典の構造が良くわかる。
歴史の中でどのように御開山の思想が展開されてきたのかということが。


この論文の最後の結論が素敵だ。