念仏を癖にする

朝起きたら、50㎝以上積もっていた。
 
除雪機を動かそうと思って、スイッチを入れたらエンジンがかからない。
バッテリーがあがっていた。
暮れに動かして以来、動かさなかったので、あがってしまったのだろう。
 
親父がデーに行くので、とりあえず車いすが入るように人力で道をあけた。
 
バッテリーを車とつなごうと思ったら、ハイブリッドなのでできないことに気がついた。
近所の方に助けていただき、車のバッテリーとつないでエンジンがかかった。
いつも泥縄である。
 
 
念仏は誰でもいつでもどこでも称えられる最も簡単な行である。
ところが、これを口癖にして称えている人は、なかなかいない。
最も簡単な行なのに、最も難しいのだ
 
なぜか。
それは、念仏があまりに簡単な行だと思われているからだと思う。
でも、それは現代では最も難しい行となってしまった。
 
亡くなられた善知識の方たちがよく言われていた。
子どもの頃、朝夕正信偈を称えないとご飯を食べさせてもらえなかったと。
そして、その親から、念仏だけは決して絶やすなと言われていた。
念仏こそが相続できうる最も大切なものであると。
 
念仏は簡単だから称えることができると思っても、念仏を癖にすることは難しい。
癖になってやっと仏からの念仏の声が聞こえるようになる。
そういう念仏が癖になっておられた方たちが、だんだんとお浄土に還られてゆく。
 
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