「高倉健という生き方」

高倉健という生き方」を見た。
 
(1)映画をつくる仲間と終われば別れること
(2)映画のロケの場所に住む人々との交流
この二つが心に残った。
 
芝居は何度でも演技をしなければならない。
映画は一回限りの演技であり、その場所、その人、その時でしか現れてこないものだ。
だからこそ、スタッフと場所のもつちからが必要なのであり、演技をそこへ持っていく。
 
墓に毎日花をいけるということを住人たちから聞く。
そして、大滝秀治さんの「久しぶりにきれいな海を見た。」と言うセリフに涙を流す。
それは、シナリオを演技の中だけでたどることではない。
 
まさに、映画をつくるということが、学びであり、生きることであった。
 
『たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、
 わが行、精進にして、忍びてつひに悔いじ』
という言葉を彼が大事にしていたということを聞いた。
高倉健」として生きることは、そういうことであったと思い当たる。
私にとって、讃仏偈に新しい意味を与え、とつながることができた出会いであった。
 
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「もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。」 名畑応順書