「文学的なメタファー」「科学的なアナロジー」そしてレトリック

「文学的なメタファー」、そして、「科学的なアナロジー」を使って様々な「物語」ができる。
これを「方便」という。
 
例えば、龍樹菩薩が語る。
「親が子を産むのではない。子のない親はいないから。」
縁起の思想の最もわかりやすい譬えである。
 
このことを、もっと表現すると、
「あなたとお母さんは同い年だよ。」
このようなことが浮かんでくることが不思議。
 
これらを説明と考えるとレトリック。
真如への導きと考えると方便。
 
しかし、
こう考えることは、方便そのものを対象化していることになるのではないかと感じる。
この感じというのは、身体の感覚。何か違和感をもつ。
 
「愚の大地に降り立つ時、
自分の感覚の与える意味を敏感に読み解くこと以外に、
この世界を生きてゆく術は見いだせない。」
 
自分の感覚を基準に、そして常にその感覚の意味を問いながら
現象や物語を読み解いていくこと。
それが仏の「方便」であり、真如へ導く「般若」なのだと感じる。
 
TVの説明を見ていて違和感を持つことは、その第一歩なのだ。