勝鬘夫人と釈尊の対話の形式をとっている仏典である。
在家である勝鬘夫人の語る内容が、大乗仏教のある到達点を示している。
私の関心は「一乗」と「如来蔵」なのだが、
それは、在家におけるさとりと、その可能性を示している。
聖徳太子は出家はしていない。
彼の関心は、在家の大乗仏教だったのだろう。
大乗は菩薩乗であり、一乗は究極の教えであり、修行であると示している。
極めて論理的な文章となっている。
このような論文をもしこの列島で書いた人がいたとしたら、
それは聖徳太子と呼ばれる人だったのだろう。
法華経との関連も、そこにあるような気がしている。