啓蒙の復権

都合があって土曜日の「わくわく図書館」を木曜日に変更してもらった。

今回はじめて運営のルールを決めた。

①発言は、挙手して司会担当の許可を得てする。
  割り込み質問はなしで、発言の途中口を挟まない。
②1回の発言時間を決めて、超えたらチャイムで知らせて1分以内で終了する。

司会者の役目はこの点のみを管理すること。
チャイムはネットの音源を用いた。

今回で6回目のオンライン「わくわく図書館」
今回考えたのは「啓蒙と学び」

実は「話し合いのテーマ」と「私の中のテーマ」の二つがある。
私のテーマは運営の仕方を学ぶことである。

話し合いのテーマもとても面白いものだったけど、今回は私のテーマについて。
それは民主主義の基本である「対話」について。
対話が大事だといわれるけれど、それはなぜなのか。
対話とは何なのか。

この私のテーマは「小さな集会」と「街宣」の違いから考えたもの。
つまり「法話聴聞」と「説法」の違い。
もっと言えば「お取次ぎ」と「折伏」の違い。
かなり違うようだけど、どちらも啓蒙を含んでいる点では同じ。
お取次ぎの方が上から目線かもしれない。(これについてはいつか又論じたい)

「あなたは何も知らない」と「私は何も知らない」
「教える」と「教えてほしい」
(これをつなげるものが哲学だとマルクス・ガブリエルは語っている)

啓蒙のマイナス面は相手を無知と見下してしまう態度にある。
でもこれが無ければ大事であり、必要でもある。
真実を知らせる(=知る)ことは大事なことだ。
とすると、ミーティングには必ず啓蒙の面があるということを自覚する必要がある。

「問う」と「語る」と「聞く」とまとめてもよい。
「学び」と「啓蒙」と「対話」はワンセットなのだ。
つまり対話には啓蒙が必要なのだ。

学びにも啓蒙にも私自身が変わるという体験がある。
そして、小さな集会はどこにでも開けるということだ。