金沢へ

息子の家族と一緒に金沢へ行った。
孫と一緒に過ごせたのが一番うれしかった。
次は県立図書館で宮川五平治の略伝を見たこと。
そして鈴木大拙館と西田幾多郎記念館を訪ねたこと。

略伝はまだ図書館の許可がおりていないので、写真を紹介できない。

大拙館はほとんどが外国の方ばかりだった。
この建物そのものが思索の空間。

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この建物を設計した谷口吉生・吉郎記念建築館も尋ねてみた。
実はこの人を知らなかったのだが、息子のパートナーが教えてくれた。
そこで吉郎氏の「清らかな意匠」という言葉が心に残り、水を使うわけも少し感じることができた。

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これは四高の横の楓の落ち葉。

21世紀美術館は待っている人が多すぎてプールを見ることはできなかったけど、西田記念館は誰もいなかった。
西田師の授業を三木清が「先生の授業は哲学することそのもので・・・、今日はこれくらいでと途中でやめても、誰も苦情を言うものはいなかったのは先生が思索で徹夜をされたことがわかったから」と書いていた。

この旅を通じて、レンマの論理(場所の論理)を考えてみた。
Aと¬Aを考える時にこの図のようなイメージではなく、下のようなイメージを持つのではないだろうか。

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とすると場所的にはAと¬Aは他の何よりも極めて近い。
例えば「生きているもの」と「生きているものでないもの」はお互いに他の何よりも最も近くにある。つまり切り離せないものなのだ。
それは当たり前で、二つに分れる前は一つだったのだから。

あまりにも近すぎるから、かえって対立を生じてしまうのではないか。
対立していると感じてしまうのではないか。