2月18日だったと思うけど、朝日新聞で
大澤真幸さんがフーコーの「言葉と物」についての解説を書いていたのを見た。
これがとても面白かったので早速矢印で指し示してみた。
私たちの認識の枠組みの歴史をフーコーは示したのだという。
中世(~16C)
記号 → 事物
類似
近世(17~18C)
記号の秩序 → 事物の秩序
対応=表象
EX.ガリレオの言葉「自然という書物は、数学という言葉で書かれている」
いわゆる科学革命における認知の仕方。
いわゆる科学革命における認知の仕方。
近代(19C~)
記号の系列 → 事物の系列
認識=人間
この対応そのもの(=人間)も記号の系列に含まれる。
さらに、事物が記号化する。
これを矢印でどう表現したらいいのか悩んだ。
(記号の系列→事物の系列) → (記号の系列→事物の系列)
関係づけつなぐモノ
こんな感じだろうか。
例えば、表現論(圏論)ではこの矢印自体を「記号の系列」にしてしまう。
そして、群の自己同型群をイメージしていたら、このような矢印になってしまった。
ただ、これは無限の循環論になってしまう。
その点、「方便論的個人主義」にはこれがない。