梵鐘の銘文

8時15分に梵鐘を撞いた。
 
その時に、今まで自覚しなかった梵鐘の銘文に目がいった。
老子(おいご)次右衛門鋳造
願主 釈彰隆
施主 檀信徒中
昭和22年11月」
と書いてある。
 
親父に初めて詳しく聞いてみた。
金属回収令で供出した梵鐘と喚鐘は返ってこなかった。
門徒の方たちの布施によって、早い段階で梵鐘を注文することができた。
鋳造の次の年の気候が良くなった5月か6月に鐘供養を行った。
2kmぐらい先に鐘をおろし、それをみんなで引っ張ってきて鐘楼につるした。
引くものと逆に引っ張るものがいて、稚児が20人ぐらい、村中の坊さんが参加し、鐘楼の周りの回った。
それまでは河原の大きな石を鐘楼が飛ばされない様につるしていた。
 
鐘楼の寄付の記録が残っていたので見ると、梵鐘の代金が5万円ほど。
現在の金額で200万から300万円にあたる。
 
梵鐘は青銅だから兵器としてはほとんど役に立たない。
たぶん戦意高揚のみに利用されたのだろう。
貴金属は溶かして転売され、胴は銃弾、鉄は銃身などに使われたと思われる。
子どもの玩具も金属のものは供出させられた。家庭金鉱といわれて。
 
梵鐘と喚鐘を引っ張ってくる写真がある。
イメージ 1
 
イメージ 2
この写真は知っていたが、これまで注目したことがなかった。
ずっと昔のことだったと思っていた。
でも、この行事と法要を行った人たちの当時の気持ちはどうだったのだろうか。
それはわからないが、戦後70年を経て、改めてこのことに注目しなければならないような事態になっていることが悲しい。
政府は米軍の弾薬だけではない、劣化ウラン弾、あげくのはてに核兵器まで運ぶ(ことが可能)と言っている。
 
饗流十方(こうるじっぽう)
平和の響きがあらゆる方向に響きますように