オシムの涙

サッカーのワールドカップの特集をTVで見た。
オシムの涙」に思わず涙がこぼれた。
 
今回初めて知ったのだが、
コートジボアールの内戦と、それを止めるように呼びかけたドログバたちイレブンの呼びかけ。
それは控室からだった。
そして、ボスニア・ヘルツェゴビナの統一チームでのワールドカップ出場。
ちょうど第一次大戦100年のサラエボのことと重なって、ワールドカップのもう一つの面に焦点を当てた。
 
サッカーはもともと国を超えたものである。
しかし、11人というチームでのスポーツは、そのチームの全ての文化も表現している。
国を超えるサッカーが国を統一するはたらきを持つことの面白さ。
 
現在、イラクウクライナ、そしてパレスチナ・・・などの内戦の激化。
今、その先は見えない。
しかし、人類の歴史は同じような内戦を乗り越えてきた。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、今なお民族間の対立感情が消えていない。
あれだけの内戦(おぞましい民族浄化など)を経たのだから当然ではあるが、しかし、
音楽やスポーツなどを通じて民族間の融和を試みる活動が確かにある。
オシムの行動はその一つなのだろう。
 
オシムは統一チームを編成するために不自由な身体で尽力した。
そして、そのチームがワールドカップで初めて得点を入れた時に涙を流した。
苦難の道を歩んだ「祖国」に対する思い入れなのだろう。
人々もボスニア・ヘルツェゴビナの統一チームの帰国を暖かく迎えていた。
 
オシムにとって「祖国」とはどういうものなのだろうか。