「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文

 
黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文がネットに載っていた。
 
事件そのものが不思議であったが、この意見陳述を読むともっと不思議な気がする。
なぜ、このような事件を起こしたのかの理由を本人が語っているのであるが、その文章が不思議なのである。
経済上の格差問題やいじめ問題などと同時に、ネット上の意見を取り上げるなど、ネットとの関連も考えさせられる。とりあえず、少し引用する。
 
「・・・長々と申し上げましたが、結論は自分は厳罰に処されるべきの一言に尽きます。自分は思わせぶりなことを申し上げましたが、客観的には大したいじめを受けてませんし、両親の自分に対する振る舞いも躾の範囲に収まることで虐待ではありません。
 
 留置所で同室になった自分と同世代の男性が、「人生が終わりかどうかは自分次第でしょ」とよく言ってました。自分がいかに自己愛が強くて、怠け者で、他者への甘えと依存心に満ち、逆境に立ち向かう心の強さが皆無で、被害者意識だけは強く、規範意識が欠如したどうしようもない人間であることは、自分自身が誰よりもよく分かっています。
 それでも自分は両親や生育環境に責任転嫁して、心の平衡を保つ精神的勝利法をやめる気はありませんし、やめられません。
 日本の国際社会における経済的地位の下降とともにやたらと「世界から称賛され、かっこいいと憧れられる日本」像が喧伝され始め、「日本は全世界から好かれているのだから、日本が国際的な批判を浴びることなどありえない。それらは全て反日カルトトライアングルたる特定アジア三国の反日プロパガンダか、それらと呼応して動く日本の反日左翼マスゴミによる偏向捏造報道が原因」という論理のみで国際関係の全てを理解しようとする精神的勝利法が国民世論に蔓延しているのと同じ現象です。
 自分は「海外の反応」まとめブログを見ても、ちっとも気持ち良くなれませんでした。・・・」
 
全文を読んでいただきたいが、みなさんはどう感じられただろうか。
不思議な気がすると思ったのは、渡辺博史被告が自分のことを様々な視点からある程度客観的に見ていることだ。
でも、それはネットの視点(ネットを通してしか自分自身を見ることができない)かもしれない。
いずれにしても、この不思議な感覚が何なのか私の中でまとまらない。
この時代そのものかもしれない。