涅槃会と涅槃図

今年も涅槃会がやってきた。
そのことを書こうと思って、昨年のブログを見た。
まったく同じことを書こうとしていたことに気がついた。
でも、少し成長したところもある。
 
西行さんの命日は2月16日。  
 
願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃
 
は、雪の降る田舎にあっては春を焦がれる歌だった。
でも、雪の中では死ねないと思いつつも、やむ得ない場合がある。
とすると、春を待つ心と、釈尊への憧れ、それは釈尊の死への態度への共感であろう。
 
二つの功徳  ( スジャータの供養とチュンダの供養)
 
からは、釈尊の「煩悩の残りのないニルバーナの境地」に入るという言葉をずっと考えている。
単純に浄土としても良いが、その浄土は涅槃の世界=悟りの世界。
死は完全なる涅槃。
それは、落在せる我らが、生き生き抜いてやがて往くところ。
 
三重・中山寺蔵の涅槃図
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涅槃図の絵解きでは、釈尊の足元の老婆と、その後ろで泣いているスジャータと、
左下でたかたかまんまを掲げているチュンダの話は欠かすことができない。
 
数年前に東福寺でとても大きな涅槃図を見た。
その時は、そこに描かれた人物のことなど考えたことが無かったから、
縁起のはたらきは偉大だ。