若有見菩薩 修行種種行 起善不善心 菩薩皆攝取

2月7日に、教行信証の後序の文 「無辺の生死海をつくさんがためのゆえなり。」
をとりあげたが、その後の最後の引文が気になった。
華厳経入法界品からの文である。
 『有見菩薩 修行種種行
 善不善心 菩薩皆攝取』
 
最初華厳経入法界品を調べていて、かなり時間がかかってしまった。
善財童子の物語はあまりにも面白い。
いろいろ調べるうちに、往生要集に行きあたった。
源信僧都の「往生要集」の最後に次の文章が出てくる。
自身の論文について自身で問いかけている。
 
 『問ふ。
 引くところの正文はまことに信を生ずべし。
 ただしばしばわたくしの詞を加す。
  いかんぞ人の謗りを招かざらんや。
 答ふ。
 正文にあらずといへども、理をば失せず。
 もしなほ謬まることあらば、 いやしくもこれを執せず。
 見るもの、 取捨して正理に順ぜしめよ。
 もしひとへに謗りをなさば、 またあへて辞せず。
 華厳経の偈にのたまふがごとし。
 
 「もし菩薩の、種々の行を修行するを見て、
  善・不善の心を起すことあるを、菩薩みな摂取す」 と。 以上
                (ありとも)親鸞さんの読み
 まさに知るべし、謗りをなすもまたこれ結縁なり。
 われもし道を得ば、 願はくはかれを引摂せん。
 かれもし道を得ば、 願はくはわれを引摂せよ。
 すなはち菩提に至るまで、たがひに師弟とならん。』
 
声に出して読んでいて、涙が出てきた。
親鸞さんはこれを含めていたのだろう。