関東ご旧跡巡拝の旅 その3

夜はなかなか眠られず、朝5時頃起きて日の出を見ようと思っていたら、目が覚めたのは5時半でした。
10分ほど遅れました。
 
フロントの若い女性の係りに聞くと、震災当日に津波が押し寄せてきて裏山に逃げたそうです。ちょうど玄関を開けていたので、一階部分を波が通り過ぎて行ったと語ってくれました。
 
朝食はバイキング。たくさん食べました。
 
この日の目的地は稲田御坊・西念寺
この寺は御開山が関東布教の中心として住まわれた稲田草庵の跡に建てられた寺です。
関東平野を横切っていた時には山はありませんでした。
やがて筑波山が見えてきましたが、はるかに遠くです。
ここは加波山と吾国山が折り重なり、
御開山にとっては比叡の山を思い出すところだったのでしょう。
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(右側の山が加波山
関東の同朋同行たちは、この地から大体30㎞の所に住んでいました。
御開山は一日かけて歩いていき、夜布教をしました。
そもそも話を聞きに来る人たちは昼間は働いていて、
夜しか聞くことはできないのです。
そして、その日はそこに泊まって、次の日に稲田に帰るという
二日がかりの関東布教であったということをご住職が語られました。
 
若院さんに案内してもらって、裏山や庭、手前の田んぼまで歩きました。
大きくて立派な本堂の向こうに山が見えました。
 
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(1)浄土真宗開闢の霊地の碑
御開山は布教をしながらこの地で教行信証の執筆をはじめられました。
 
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(2)お葉つき銀杏の木は稲田草庵の庭に御開山が葉に実を包んでお手植えになったといいます。
探すと確かに葉から実が出ているものがありました。 
 
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(橋から稲田草庵の方を振り返る)
(3)見返りの橋は、ここで20年住まわれ、帰洛されるときにどうやら恵信尼らご家族と別れたらしいのです。寺の前で振り返って過ぎし日の思い出と、もう見ることのできない景色を焼き付けられたのでしょう。
 
 別れじを さのみなげくな法の友 また会う国の ありと思えば