「界」はさかいという

「涅槃界」といふは無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。
「界」はさかひといふ、さとりをひらくさかひなり。
                             唯信鈔文意  愚禿親鸞
 
涅槃界は浄土のことである。
とすると、浄土はさかいということになる。
さかいにはいろいろな意味があるが、この場合は無明の迷いと涅槃のさとりのさかいととらえることもできる。
 
このとらえ方は、浄土を極めて動的にとらえている。
「迷いからさとりへのさかい」ということは、
「迷いとさとりが相接しているところ」と考えられる。
 
迷いとさとりが互いに接していてつながりあっているところを想像すると何とも不思議な感じがしてくる。無明の迷いをひるがえすというダイナミックははたらきである。
 
浄土を世界と考えると静的なイメージがするが、さかいは動的なイメージだ。
浄土のはたらきはさかいでなされているとすると、迷いにも浄土のはたらきがあることになる。