五濁悪世と悪人

 
世の中をどう見るかと言えば、仏教では五濁悪世と見る。
さらに、それを自分自身の中に見る。
その中で、呼びかけられている存在に気がつく。
「二河」と「白道」は同時に往生者の目に飛び込んでくる。
 
とすると、娑婆世界を五濁悪世と見るか見ないか。
振り返って自分自身の中の煩悩や執着に気がつくかどうか。
 
そもそも、五濁悪世の中にいる人は、それが五濁悪世だということを知らない。
そうでない世界を体験してこそ、五濁悪世だということがわかる。
そこに住んでいる人に触れて、自分自身の煩悩や執着に気がつく。
 
それを縁起というのだろう。
方便力というのだろう。
 
世間で起こる様々な事件、出来事、にはさまざまな原因がある。
その原因は一つではない。
さまざまな要因がまじりあい、影響を及ぼしてそこに現れたものである。
空即是色なのである。
それは、私たちに知りえないことなのかもしれない。
その知りえないということを前提にしながら、それでも原因を探っていく。
 
そうせざるを得ないのが私たちである。
ただ、この娑婆世界を当たり前だと思っている人が、そうでない世界があることを体験しているかどうか。
そして、それは、すぐに私の上にかぶさる問題である。
私は、この娑婆世界を仕方がないと思っているのではないか。
そうでない世界があることを体験しているのか。
 
この繰り返しが、念仏の生活のような気がする。