宗教・宗派を超える道

 
昨日、『「浄土真宗」 ―往生と不退― 中野良俊著 東本願寺出版部』
を読んだ。
30年前の講義録とは思えないような内容だ。
 
現代的な「教相判釈」をされ、浄土真宗の独自性を示すということを
真摯に追求されていた。
 
先日の石槫師の法話の中で心に残ったことがある。
それは、東日本大震災で多くの宗教、宗派の方たちがその違いを超えて
震災で傷ついた方たちのケアに取り組んだというお話だ。
 
私は、宗教・宗派を超える道こそが本当の仏法ではないかと思っている。
しかし、一方で浄土真宗の独自性も追求している。
これは、どう考えたらいいのだろうか?
 
読みながら感じたのは、その違いこそ、自分自身の仏法を深める縁となる
ということである。
違いを見つけていくことが区別をすることだったら、縁起の思想に反する。
しかし、それが、共に生きていく新しい芽を見つけることだったら必要なことだ。
 
浄土教では、往生者に対する言葉と、未信の人に対する言葉は異なっている。
釈尊はそれぞれの機(相手)に応じて説法をされたという。(対機説法)
善導大師のお言葉は、ほとんどが往生者に対する言葉である。
無量寿経は「如来浄土の因果」と「衆生往生の因果」を説いていて
未信の人に対する言葉である。
 
だから、誰に対して話した言葉なのかということはとても大事なことなのだ。
また、誰に対して語る言葉なのかも大事なことなのだ。
 
私は共に生きてゆく芽を種を見つけることができたのだろうか。