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今までブログに書いてきた二つのことを、サイトに編集しなおしました。
 
観無量寿経 (イダイケのさとり)
 
指月の譬 (言葉「指」と真実「月」)
 
私は以前は人間の煩悩を強調していました。
ところが、あるとき、煩悩の話をしながら、執着(煩悩の一つ)って人間の生きていくエネルギーではないかとふと感じたのです。執着が無くなたら生きていけません。
そう思ったら、むさぼる心や怒りの心、愚かさもすべて人間のエネルギーであることに気がつきました。
そして、それまで否定していた煩悩が必要なものに思えるようになってしまってからは、煩悩熾盛 を言わなくなってきていました。
 
ですから、観無量寿経の私の読み方は、韋提希の罪悪熾盛の面からの回心ではなく、悲しみからの回心となっています。
 
「悲しみがさとりへの道である」と。
 
それにしても、なぜ観経を読み、観経疏までも読もうと思ったのか不思議です。
故人の廻向なのでしょうか。