「どうしたらいいのだろうか」から「どうしてするのだろう」へ

子どものトラブルを考えるとき、当然考えるのが
「なぜこんなことをしたのだろう」
「どうしていつも同じことをするのだろう」
ということ。
 
ところが、それが簡単にはわからないことが多い。
子ども自身がわからないからだ。
 
でも、必ずわけがある。
脳があって行動をする動物は、
そのように行動するように進化してきたのだから。
必ずわけ(意味)はある。
 
ところが、そのわけや意味がつかめない。
すると、教師は苦しくなる。
子どもが憎くなり、そのことで自分を追い込み、責めてしまう。
それは、子どもの姿がわからない苦しさといってもよい。
 
そういう時に、「どうしたらいいのだろう」と考える。
そして、いろいろやってみる。
ところが、その試みは、ほとんどがうまくいかない。
 
そうすると、子どもの「なぜ」を探るよりも
「どうしたら」の方に焦点がいってしまい、
今度は、自分自身の力量や才能を責めてしまう。
悪循環に陥ってしまう。
 
子どもの「なぜ」をどこまでも追及する。
「どうしたら」もそのためにする。
この意味では、教師は科学者でなければならない。
つまり、失敗しても次の手を考え出して
あくまで「なぜ」に迫る情熱が必要なのだ。
 
表題の主語に注目してほしい。
教師が「どうしたらいいのだろう」から、子どもが「なぜそうするのだろう」へ。