偽の命題からはどんな命題でも導ける

八幡も雪が降り続いている。
今日は6時から岐阜で大学のゼミの会がある。
雪がひどくならなければいいのだが。
そのまま宿泊して、明日は教育のつどいに参加しようと思っている。
 
メモ帳兼日記のノートが今日で6冊目に入った。
A5のサイズが一番使いやすい。
最初はアイディアを書いていたが、そのうちメモも書くようになり
今では、予定や思いついたことや、読書感想や気に入った言葉の記録などにも使っている。
50枚を9か月で使っていた。
夜、その日にあったことを思い出しながら書いていたが、
最近は、出来事が終わったらすぐに書くことにしている。
 
「今日の午前中何をしていたっけ?」
と連れ合いに聞いても答えてもらえないくらいになったからだ。
 
層の理論を読んでいて、面白い論理が出ているのに気がついた。
排中律が成立しないということだが、
その前に、
「仮定が偽なら結論がどんなことであろうが、その命題は正しい」
というのが数学的には正しいということが出ていた。
そういえば、ラッセルが講演で、「偽の命題からはどんな命題でも導ける」
と主張して、1=2が正しいとすれば、どんなことでも証明でいると
聴衆から「貴方が法王であることを言ってほしい」と言われて
その場で証明したことを思い出した。
(中身はあいまいでうろ覚えです)
 
ラッセルは、「私と法王は二人だ。
2=1だから私と法王は一人だ。
よって私は法王である」
というような証明をしたような気がする。
 
仮定が偽ならどんなことでも主張できるということは
世間でもよくあることだ。
 これが政治で教育に対して使われるとどんな施策でも正しくなってしまう。