宇治川の先陣争い

叔父の一周忌のため大阪へ。
十数年前に叔父に案内してもらった近つ飛鳥博物館へ行ってから法要へ。
さらに宇治に泊まり、醍醐寺萬福寺平等院を拝観。
姪のはたらく料亭で抹茶料理をいただく。
 
宇治川について勘違いをしていたことに気がつく。
まず、宇治川は宇治の辺りでは、南から北へ流れていることを初めて知った。
琵琶湖では南へ、宇治で来てへ、そして巨椋池から再び南へと下る。
だから、宇治川の戦いは、平等院から北側へ渡ったのだ。
これを逆に考えていた。
 
宇治川の源流は琵琶湖。
だから、瀬田川宇治川は京を守る濠みたいなもの。
義仲を攻めるためには宇治川をどう渡るのかだから、
東からの瀬田の唐橋方面と、南からの宇治橋方面は戦略的には当然だった。
 
ところが頼政が宇治の平等院で自害したので、平等院へ攻めると思い込んでいた。
頼政の場合は、奈良へ逃げるを、京から知盛が追ってきて、宇治橋で戦う。
義経平等院から北へ渡って京へ攻め入ったのだ。
 
思い込みとは面白いものだ。
現地に行って初めてわかった。
 
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抹茶のお茶づけ 初めて食べたが、とても美味しかった。
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蓮の台(うてな) 萬福寺
 
平等院の鳳翔館に初めて入った。
今まで見えなかった、鳳凰や雲中供養菩薩、九品往生の復元壁画を見ることができた。