記憶と記録と過去

新幹線から窓の外を見ながら思った。
この景色は後ろの方にいく。
そして、はるか後ろに残される。
時間も同じように過ぎてゆく。
過ぎた時間はどこにとどまっているのだろう。
 
これは場所からの類推にすぎないのだろうか。
私は過去という場所をつい想定してしまう。
過去がどこかにあると思う。
でもそれは記憶の中にしか存在しない。
 
ビデオや写真はその時の場所のほんの一部の記録だ。
記録によって思い出されるものが過去なのだろう。
思い出しているのは今なのだから、
過去はどこかにあるのではなく今現在ある。
 
私の知らない過去もある。
知らない過去が私に影響してくるとしたら
その過去の記録は私の記憶とならなければならない。
 
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関わりのある記録を知ることはエネルギーが必要だ。
その記録が簡単に手に入らなかったら膨大なエネルギーを使う。
手に入る記録を記憶にしようとするのも大変なのに・・・