世をいとふしるし

いつの間にやら9月になっていた。

もうすぐ永代経がやってくる。
その前に台風がやってくる。

台風対策を一昨日からやっている。
どれだけやればいいのかわからない。
今までは大したことがなく、ほっとしてしまったものを再び出した。
今回は夏用のすだれなどはそのまましまおうと思っている。

9月も行事が一杯。
先日は防災訓練があった。
これも準備が大変だった。
市役所へ行って、防災の備蓄の食料をもらってきたり、
名簿の印刷をしたり、身体の不自由な方が避難する時の方法を考えたり・・・

今度の台風の被害が少しでも少ないことを願っている。


最近、そうだなあとつくずく思うこと。
親鸞さんのお手紙にある。

『 まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、
阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、
釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、
いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。
もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、
仏のちかひをききはじめしより、
無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、
阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。

 しかるになほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、
毒も消えやらぬになほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。
煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、
口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、
いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。
酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。
薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。
仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、
後世のあしきことをいとふしるし、
この身のあしきことをばいとひすてんとおぼしめすしるしも候ふべしとこそおぼえ候へ。

 はじめて仏のちかひをききはじむるひとびとの、わが身のわろくこころのわろきをおもひしりて、
この身のやうにてはなんぞ往生せんずるといふひとにこそ、
煩悩具足したる身なれば、わがこころの善悪をば沙汰せず、迎へたまふぞとは申し候へ。
かくききてのち、仏を信ぜんとおもふこころふかくなりぬるには、
まことにこの身をもいとひ、流転せんことをもかなしみて、ふかくちかひをも信じ、
阿弥陀仏をも好みまうしなんどするひとは、
もとこそ、こころのままにてあしきことをもおもひ、あしきことをもふるまひなんどせしかども、
いまはさやうのこころをすてんとおぼしめしあはせたまはばこそ、世をいとふしるしにても候はめ。
また往生の信心は、釈迦・弥陀の御すすめによりておこるとこそみえて候へば、
さりともまことのこころおこらせたまひなんには、いかがむかしの御こころのままにては候ふべき。

親鸞さんの言葉には少しもハラスメントが無い。
そして、騙されやすく、過ちをおかし易い私たちを、真理の光で温かく包んでくれる。