「人間が語るのではなく、言葉が語る。
これは浄土真宗における南無阿弥陀仏の名号というものの本質だと思いますね。」
「言葉は自分で書いてはダメなんです。
言葉をして語らしめないと、絶対いいものは書けません。」
「だから、言葉が語るということが根本です。
人間は言葉が語るのを聞くことによってはじめて語ることができる。」
その通りだと思う。
ただ、自分が語ると考えてしまうから、本物にいかない。
数学でいうと、図が語るのを聞く。
この図は何かを語っている。
それを耳を清まして聞く。
その声が聞こえてきたときはうれしい。
ただ、私の場合それは起きてから3時間ぐらいの間しかない。
「できる」は本来「出来る」つまり「いでくる」