今日、大峯あきら師が30日に亡くなったことを知った。
以前彼の俳句論について紹介したことがある。
その時、俳句はモノゴトが語る物語を書きとめるということを知った。
そして、もう一つ季語について
「人間だけでなく、世界の中のすべての物は季節の内にある。季節とはわれわれの外にある風物のことではなく、われわれ自身をも貫いている推移と循環のリズムのことである」
これは、逆転させたのだ。
季節は外にあるのではない。
季節の中に我々があるのだ。
とすると、
季語を使って季節を表わすのではなく、
季語の中に我々が居るということになる。
なるほど。
「約仏」を俳句にまで高められたと感じる。
しかし、これを実際に行うことは難しい。
やはり、モノに物語ってもらうしかない。