実は4年前に書いたのだが、後から読み直してみると、
書いた本人ですらわからなくなってくる。
どうやら約仏と約生にこだわりすぎたようだ。
これは同じ現象を別の立場から見たに過ぎないのに。
そういう書き方だったので、いつか直さなくてはと思っていた。
今回やっと方向が定まって書き換えた。
そこからどのように考えを進められたのかということである。
ポイントは五念門だということはわかったが、
五念門とその果である五果門の区別がつかない。
等々のことで悩んでいた。
そもそも入出二門は、二重の論理がさらに何層にも重なっていて分かり難い。
自利と利他、往相と還相、入と出、五念門と五果門、・・・
ふと、「入出二門偈」の現代語訳を読んでいたら、何だか自然に見えてきた。
だから、この現代語訳の中の入出二門(=五果門)を大きく引用した。
因である五念門とその果である五果門の関係もようやく浮かんできた。
つまり、今回は「入出二門偈」の発見だったのだ。
他力と自力 ( 五念門と利他力のこと)