人としてのいたみや願い

自主運動教室に参加。

身体を自覚するというのは気持ちがいい。
もう一つ、身体と心がつながっているという感覚もうれしい。
できるだけ、笑いが出てくるような運動だと、身体も楽しく動きだす。


人は感情で動く。
だから感情に訴えることは大事だが、人の感情はどこへ行くのかわからない。

人は利害で動く。
だから、利を説くことは大事だが、誰のための利なのか、何の利なのか考えないと。

学校にいた時に、感情を前提にしない学びはないと感じていた。
喜怒哀楽があってこそ学びが成立する。
だから、嫌だという感情も肯定してきた。
そして、そういう感情がどうすれば学びにつながるのかいつも意識していた。

エスは言った。
「人はパンのみで生きるにあらず」

しかし、いつも言われた。
「わしら生きていかねばならないからな」
だから経済効果を持ち出したこともある。
でも、経済効果だけが値打ちの世界になってきている。

とすると、一体何を共通の感情にしたらいいのか
いや、何を本当のこととしたらいいのか

この疑問を尋ねた。
師は、こう話しだした。
 「人の道、私たちの根底に人としてのいたみねがいがあり、
  そのいたみやねがいによって真実が真実たりうるのではないでしょうか。
  そして私たちもその真実に願いを託すことができると思っています」
と。

一番苦しんでいる人の願いや痛みを聞き取ること。