私=今=ここ

友人のお寺にお参りをさせていただいた。

素敵なご寺院で、何よりもお参りされた方たちの男女の比がほぼ同じ。
つまり、ご夫婦でお参りをされている方たちが多いということ。

地域の中で老後の生活をどのようにしていくのか
介護する私と介護される私の話をした。
私たちはこの小さな身の丈の世界の中で
より豊かにするためにいろいろな知恵を出して懸命に生きている。
でも、そういう問題も前提に平和ということがあってこそ成り立つ。

ふと気がついたことがある。

この頃、「私」と「私たち」の区別はできるのかどうかがずっと気になっていた。
区別できないというのが結論。
同時に、「今まで」と「これから」と「今」もできない。
そして、「ここ」と「あそこ」もできない。

もちろん言葉としては違うが、「ここ」は「あそこ」になり、「あそこ」は「ここ」になる。
過去の出来事も思い出した時は今だ。
私のことを述べながらいつの間にやら私たちになっている。

そういえば、授業中に子どもが
「私たちってどうしてこうなんでしょう」
といつも言っていた。
そのたびに、「自分を簡単に拡大するな」
とからかったけど、私⇒私たち⇒人間と考えるのは自然なことだ。

そして、最も当たり前なこと
私=今=ここ