「本典(教行信証)勉強会」があった。
総序を読み終わった。
安方師が言われる。
「なぜ私たちは本典を学ぶのですか?」
「信心を獲得するためではありません。
一つは、宗祖のご苦労を知り、報謝(報恩謝徳)のため。
もう一つは、その報謝の喜びを他に伝えるためです。」
「念仏を往生の行だと考えることは、
お中元をくれた本人に、熨斗紙を張り替えて返すようなもの。」
随所に入る譬えが面白くて聞き入った。
「私たちの仏は、見える仏でなく、称えることのできる仏、聞くことのできる仏」
「宗教とは出遇ったものの喜び。
今からどうすれば出遇えるのかを述べるものではない。」
「私たちの宗教は『遇う宗教』です。」
『「悲哉」→「誠哉」→「慶哉」 これを三哉(さんさい)という』
この三哉と歎異抄9条がつながる。
『「愚鈍」とは、自分が正しく賢いと思うものを言います。』