与格構文

本典勉強会が私を数学モードから仏教モードに入れた。


本典は約仏の立場で書かれていると言われる。
「約仏・約生」と「能所(のうじょ)」はよく似ている。
 
私はあまり理解できないので、主語と目的語で理解している。
主語(主体)と目的語(客体)
自動詞と他動詞
 
このようにとらえると、これは言語の問題だとわかる。
私たちが語る時は、たいてい私を中心にしているが、そうではない言葉もある。
その言葉そのものが私の識に影響を与えている。
 
中島岳志さんによるとヒンディー語には与格構文というのがあるらしい。
与格構文とは、
人格の意志や力の及ばない、感情、生理的な現象、嗜好、状況、事態・・・
などを表現する特徴的な構文で、
例えば、「(与格)にとって(主語)が得られる」というような表現をする
与格とは「私に」、主格「私が、私は」
 
これがなかなか意味深い。
<日本語>          <ヒンディー語
私は幸せだ        → 私に幸いが得られた
私はあなたを愛している→ 私にあなたへの愛がやってきて留まっている
私はヒンディー語ができる→私にヒンディー語がやってきて留まっている
私は~を持っている   → 私の近くに~がある
 
こういう表現そのものがすでに他力的である。
日本語がいかに自力的か。
そうなると、言語そのものが思想を含んでいる。
 
サンスクリット語も似ているという。
そういう言語を中国語に訳すときに、かなり苦労したのではないか。
 
ナマステーはナマスとテーに分けられ
テーは与格で、~に
とすると、ナマステーは「あなたに礼拝(帰命)します」
忖度すると「あなたの中にある世界に礼拝(帰命)します」